右脳な舞・左脳な迷

微笑 中動作誤に常正 くし楽も日今 ありがとう

新日本フィル定期(すみだトリフォニーホール)

新日本フィルハーモニー交響楽団 第379回定期演奏会
指揮:小澤征爾
 ハイドン交響曲第98番 変ロ長調
 ショスタコーヴィチ交響曲第10番 ホ短調 作品93

話題の小澤征爾さんを聴いてきました。というのも最近、PHP新書から出版された遠藤浩一なる方の『小澤征爾 日本人と西洋音楽』という新書本を読んで、少し小澤征爾さんの現在を確かめたかったからです。この本、読み始めると、論理的に小澤征爾さんを擁護しているのだが、いきなり論理的破綻を晒していて読む気を削がれます。それはさておき、小澤征爾さんの素晴らしさは私も完全に認めていますので、ヤフオクでチケットを手に入れました。というか、小澤さんの1回券はほぼ入手不可です。(発売日に勝負するか、新日本フィルの定期会員にならないと聴けないという事です)
さて、期待に胸膨らまして錦糸町へ向かった訳ですが、不安もありました。以前、小澤征爾さんの指揮するモーツァルトを聴いて幻滅させられたからです。彼のモーツァルトは紛れもなくヴァーグナー以降の演奏法・方法論におけるモーツァルト演奏だったからです。もちろん、それだけで悪いとは言えないのですが、そうする事によってモーツァルトの良さが犠牲になってしまっている場合は最悪としか言いようがありません。まさにそんなモーツァルト(らしきもの)でした。ハイドンでもそんな事にならないか?

もし「ハイドンはオーケストラアンサンブルの基本」だという理由でレパートリーに入れようとするなら、そんな理由で演奏するのはやめて欲しいです。ヴァーグナー以降の「近代的演奏法」でハイドンを演奏されるとたまったもんじゃない。面白くも何ともない。「古典的」か「現代的」に演奏して欲しい。その辺を思い違いしている人が多くて困る。まぁ、今日のハイドン演奏は、かつてのモーツァルトよりは現代的で、ハイドンを演奏するに当たって気をつけなければいけない様式的な事を理解していないけれども、そこそこ面白い演奏ではありました。編成も小さくしてハイドンにふさわしいバランスと響きを目指そうという気もあったようですし。ただしヴァイオリンの音程が甘過ぎ。ピッチの悪さは狙っているのか? 全然はずれてるよ。それだけで面白くなりかけた演奏が台無しです。残念。アマチュアオーケストラを聴いているのかと思いました。
後半のショスタコーヴィチは、これが同じオケかと思うぐらい素晴らしい集中力でした。もしやリハーサルでショスタコーヴィチばっかり練習したのでしょうか?これは昨年5月、井上道義さんの指揮で東京フィルが演奏した交響曲第2番の超名演に匹敵する素晴らしい演奏でした。どう素晴らしいかと言うと、ショスタコーヴィチがスコアに書き込んだ音楽を隅々まで余す事なく再現し尽くしたという類いの演奏でした。弦楽器も曲を弾き込んでいると分かる力演で、本当に力強い響きを再現していました。しかし、第4楽章の後半で、アンサンブルが乱れ、緊張感を欠いたのは残念でした。クライマックスに向かって小澤さんは盛り上げようとしたのでしょうが、オケが付いて行かなかった。とても残念。でも東京墨田に「小澤&新日本フィル有り」と言っても良い程の名演ではありました。